小学4年生
夏休みに、東京の病院に入院した
大学病院の小児病棟
6階
最初こそ、めそめそしていたが
半月もいれば慣れてきて
そもそも
検査入院
検査のない時間は、自由
探検が始まった
一階は、売店があったと思う
見たことがあるだけ
何か買うときは、6階の自販機
買うものは決まっていた
りんごジュース
飲む時間も決まっている
真夜中
それはね。
病室からしばらく歩いていくと、ナース室があって
そこの隣に、製氷機がある
私は、ナースの居ない時間にコッソリ
ナース室にある冷蔵庫から
自分のりんごジュースを出して
製氷機の氷をマグカップにもらう
確か
深い緑色のマグカップ
秩父の山と同じ色
だから、お気に入りでよく覚えている
物凄く怒るナースもいて
「夜中にこんなことするのは、あんただけだ!」
と
怒鳴る人もいたけど
優しいナースは
コッソリお菓子をくれた
一緒に食べながら、話を聞いてくれたんだ
母は一日おきに来てくれたり、来てくれなかったり
身体を拭いてくれるとか
何かをしてくれるわけじゃないけど
親戚の叔母たちに小言を言われるから
様子を見に来ていたんだと思う
そういえば・・・
お風呂とかってどうしていたんだろう?
全くもって
思い出せない
パジャマで毎日、フラフラしてた
時々、エレベーターに乗って屋上に行くこともあった
広くて気持ちいい
私は、高所恐怖症だから
下を眺めることはなかったけど
空は近い
風が吹いていると気持ちよかった
夏だけど
蝉がないていた記憶もない
時々、聞こえるのは
同じ病室の男の子が
「おかーちゃーん」
と
泣きながら屋上で叫んでいたこと
同じ病室の子
私は、気づいていたけど
何も言わなかった
でもその男の子とケンカをしたことがあった
原因は覚えていない
覚えているのは
茨木弁のなまりが強すぎて、何言ってるのかわからなかったこと
私も、秩父弁丸出し
はたで聞いている大人たちは笑ってみていた
まあね
彼は、いつも泣いていたから
他の親たちは来てくれるのに
彼の親を私は見たことがなかった
屋上は8階だった
7階は、フランケンシュタインみたいな人がいっぱいいて
エレベーターに7階から乗ってくる人は・・・
怖かった
だから、屋上はあまり行かなかった
6階の中も
赤ちゃんが泣き叫んでいるところがあったり
無菌室みたいな所には入れなかった
そして、
検査の時は1階だったり2階だったり
階段を果てしなくぐるぐると歩いたこともあった
ただ、いつも思っていたのは・・・
ここから、出られないんだ
ということ
秩父の野山を自由に走り回りたい
早く帰って、愛犬に会いたい
そんなことばかり
考えていた
私の家は
お店をしていたから
習い事がない日は
お店番をしていた
友達と遊んだ記憶はあまりない
それでも
記憶の片隅に
ゴム飛び
鬼ごっこ
遊具で遊んだこと
少しだけある
大抵は、一人だった
生意気で向こうっ気が強いおらが大将
世間を知らない人間だった
だからって
今だって
世間は狭い
私の知っている世間のこと
世の中はもっともっと
広い
箱の中に閉じ込められていたら・・・
私は、腐ってしまう
そうに思っていた
今は、家の中で・・・
缶詰になり
一日中
パソコンの前に座ってる
いいとか悪いとかっていうよりも
きっと、このままだと・・・
腐ってしまう
外の世界に飛び出して
また、
いろいろ学びたい
病院の中に後1か月もいたら・・・
きっと、抜け出して
みんなに迷惑をかけていたと思う
だけど
あの箱の中から
出られない人たちも
沢山いたんだ
今こうして
生活ができていること
本当に感謝だと思う
ありがとうございます


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